ねばねば日記

中央線沿線に住む27才OLが中央線の魅力を紹介したりしなかったりするブログ

『引っ越しの達人』である、母から教えてもらったこと


普通の人は、一生の間に何回くらい引っ越しをするのだろうか。

中央線沿いに住むようになって、1年になる。今住んでいる部屋の契約も残り1年を切り、ふとそんなことを考えた。

 


私は今までに、11回程引っ越しをしている。

父の転勤の都合で7回、自分の転勤や通勤の都合で4回。

 


これだけ転々としていると、どちらかというと最初から引っ越しを念頭に生きているというか、引っ越しのことを考えて普段からものを買わないようにしているような部分もあって、そういう感覚が根づいているのは、母の影響によるところが大きい。

 


私の母は、引っ越しの達人である。

 


母は今年で58才になるが、転勤族だった父について、20代の頃から幾度となく引っ越しを繰り返している。

私が去年、友人とルームシェアをするために中央線沿線に引っ越してきた時も、母が何かと手伝いにきてくれた。

 

私だけではない。我が家では、父の単身赴任や、兄の転勤の際にも、母が必ずかり出されてきた。

兄も私も、かり出しているつもりはないのだが、何も言わなくても、母は誰かの引っ越しが決まったその瞬間から、自主的に参戦してくれるのである。

新幹線や、時には夜行バスで現地へ赴いては、せっせと床を磨いたり、段ボールを詰めたり、テレビの配線をやったり、ガスの開栓に立ち会ったり。

 


「とにかくものを増やさないことが大事ね。あとは、とにかく家具でもなんでも軽いものがいいね。引っ越しだけじゃなくて、地震とかもあるからね」

そんな母の言葉を、はいはい、と聞き流しながらも、気がつくと私もそういう基準で、買うものを選んでいるのである。

 

 


〈初の一人暮らしと不安〉

 

そんな数ある転勤の中でも、印象に残っている引っ越しがある。

私が大学を卒業し、初の一人暮らしを始めた時だ。

 


私の最初の勤務地は、四国だった。

関東の実家暮らしから、突然、知り合いの1人もいない四国へ。

(友人に、「最大級に飛んだな」と笑われたのが忘れられない。)


当然この時も、母が現地まで手伝いに来てくれた。


私は元々楽観的な性格なので、不安より、一人暮らしへの楽しみの方が大きかった。

インテリアも好きなようにできるし、家事も料理も好きだし、何よりずっと、実家を出て自立したい、と思っていた。

 


しかし、引っ越し当日。

空港に着き、バスでこれから自分が住む最寄りの駅に着いた時、急に不安に襲われた。

 


本当に、やっていけるのだろうか。

 


もちろん、やっていくしかないのだが、何があるかわからない、というより、何が不安かすらわからない、という不安は、実際その地に着いて初めて襲ってきた。

その日は、雲ひとつない快晴だったが、私の心はどんどん暗くなった。自分がこれから働くはずの職場の前を歩きながら、足元がぐらぐらとおぼつかないような気持ちになった。

 

 

 

〈母、おそるべし〉


不安で無口になる私の隣で、母はといえば、生き生きとしていた。

 


「古いけど、収納がたくさんあるのが気に入ったわ」

と、私の住む部屋を見て満足げに言い、

 

はさみやマジック、メジャーなどをがらがらと入れた箱を取り出しては、

 

「段ボールに何を入れたか書く時は、必ず両方の側面に書いときなさいよ。積み上げられても見えるように」 

 

とか、

 

「はさみはなんだかんだ最後まで使うからね」

とか、

 

ゆうパックの伝票は、同じ住所なら持って行けば割引になるから捨てちゃだめだよ」

 

とか、

聞いてもいない『引っ越し豆知識』を次々に披露する。

(ちなみにゆうパックは、同一宛先の控えがあると60円引きになる)

 


母の指揮の元、2人で空っぽの部屋にカーテンをかけ、クイックルワイパーをかけ、カーペットを敷き詰めた。

それから洗濯機周りの設置、ホームセンターで買った棚の組み立て(安物の棚に限って、組み立てが大変なのだ)。

 

家を家らしくするには、やることがたくさんある。

 


その間、私は何度も「疲れた」と口にした気がする。

 


引っ越しには、すごくエネルギーが要る。

慣れ親しんだ色んなものを捨てて、新しい場所で、全部を一から作り上げていく必要がある。 

家も、仕事も、人間関係も。

とにかくそれら全てのストレスに、私はやられていた。

 


その間、母はといえば、プリントアウトしてきた、近くの美味しいお店のホームページなどを見て、夜ごはんに何を食べるかを考えていた。

 


母は数日間滞在し、私の部屋を部屋らしくして、帰って行った。

ベッドや食器棚などは、ほとんど母が1人で組み立ててくれた。

 


ベッドがない間、床に布団を並べて2人で寝ながら、母が、

「あんたはどこに行っても大丈夫よ」

と言ったのを覚えている。

 

 

 

〈反発していた、母のすごさ〉


昔から私は、自立心だけは強かった。

早く家を出て、自分の力で生きていけるようになりたかった。

 


専業主婦で、経済力のない母に反発していたのもあったと思う。

私は、自分の住む場所は自分で決めるし、母とは違う生き方をする。そうずっと思ってきた。

 


しかし、四国への引っ越しを通して、私は自分が、1ミリも自立なんてできていないことを思い知らされた。

 


生活していくって、なんて大変なんだろう。

今まで私や兄が、転校したくないと駄々をこねるそばで、母はこんなことを毎回1人でこなしてきたのか、と思うと申し訳ない気持ちになった。

 

 


〈頼ってもいい、ということ〉


「あの時、でも楽しかったわ」

何年か経って、母はその時のことを振り返ってそんな風に言った。

「あんたと2人で、ニトリに行ったりしたのも、今となっては」

 


その時、思った。

言われてみれば、楽しかった。


 1時間に1本しかないバスに乗って、ニトリへ行ったことも、


ダイキ(※関西・四国にめっちゃあるホームセンター)でキッチンマットや食器かごを選んだことも、


バスで山の上の温泉に行ったことも。

 

母をこき使ったことに内心罪悪感を感じていたが、母は母で楽しんでくれていたのであれば、良かったと思う。

 


それ以来、母に頼るのが悪いことだと思わなくなった。

もちろん頼りすぎは良くないが、何も全部1人でやろうとしなくてもいい。 

助けが必要な時は、助けを借りればいい。一緒にやった方が、きっと楽しいし、いろんな発見がある。

そんな風に思えるようになったのだ。

 


先日実家に帰って、母と話していたら、

「ずっと引っ越ししてきたせいか、なんかまたそろそろ引っ越したい気がする」

などと言っていた。

さすがにもういいだろう、と呆れたが、それはそれで少し楽しみでもある。

 


きっとまだ母には、私に教えていない豆知識がたくさんあるはずである。